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オーストラリアへ向かうきっかけと阪神淡路大震災

「どうしてオーストラリアへ来たのですか?」長年この仕事をしていると質問される事がよくありました。
お恥ずかしい話だが、正直オーストラリアへ行く事に海外で起業して成功させると言った「大きな夢」もなければ、語学をマスターするんだと言った「志」もなく、普通にワーキングホリデーだった訳です。1年間を適当に遊んで学んで、適当に働いて旅行して、そして適当に帰ろうってつもりでした。

その頃大学では、就職活動でリクルートスーツに身を包んだ同級生を横目で見ながら、バブルが弾け就職氷河期が目前に迫ってきている危機感を募らせている中で「自分がやりたいこと」に今ひとつ確信が持てずフワフワとした状態で毎日を過ごしていました。
「就職しちゃったら、海外で生活する事なんてできないよなぁ…?」と思いつつ、ちょとした縁で知り合ったオーストラリア人留学生がメルボルン出身だったと言うだけでワーキングホリデー制度を利用して1年間オーストラリアで生活してみよう。と安直な気持ちで決めちゃった訳なんです。良い意味で言うと「自分探し」、悪い意味で言うと「現実逃避」。

海外で1年間生活をするにはお金が掛かります。ワーキングホリデービザを取得するには1年間生活するのに必要な資金を提示しなければいけないと言う事で、手っ取り早くお金を稼ぐ方法として道路工事のアルバイトをはじめました。道路工事のアルバイト自体は、父親が土建屋に関わりがあったので学生時代の長期休みの際にちょくちょくやらせて貰っていたのですが、本格的に始めたのは渡航を決めた時でした。

今年で阪神淡路大震災から13年目を迎えましたが、オーストラリア渡航を決めた時期と重なって震災が起こりました。
震災直後は、災害復興の事業としてインフラ整備に早急に取り組まなければならず、道路工事による交通機関の復旧は最重要事業として昼夜を通して突貫工事が行なわれていました。2?3日徹夜で仕事をしていても元気な大学生だったですから、時間があれば現場に入って大学卒業後も暫くはアルバイトをして生活費を実家に入れ、泥と油まみれになりながら渡航資金を貯めていました。1年近くで渡航資金の目安である100万円以上の貯金ができた頃に航空券の手配やビザの手配などを行い1996年の9月にメルボルンに向けて出発する事になりました。

道路工事のアルバイトをした理由は、「お金が手っ取り早く稼げるら。」と言った理由だけではなく、こんな言い方をすると語弊があるかもしれませんが、「土方(どかた)仕事を経験すれば、あとはどんな仕事でもできる」って考えもあった訳です。学歴も年齢も関係なく、一緒に働いた人には「得体の知れない怪しい人」もいて、社会の底を見ることができました。もちろん、怪しい人に昔話を聞くなんて事は御法度。
工事現場には「過去」はなく「今だけ」に生きている人が沢山いました。

道路工事に騒音は付きもの。普段は住宅街で道路工事をやっていると騒音公害って感じで一部の周辺住民の方から「冷たい目」でみられたり、中には苦情を言い出してくる人も少なくありません。「うるさい。他でやってくれ!」って怒鳴りに来る人もいましたけど、「ここが現場なんだから、他でやれって言われてもねぇ??」
でも、震災復旧工事の時は違っていました。一日でも早くライフラインを復旧させる事が先決だったので、「騒音公害」とか言ってられない状態だった訳です。工事現場周辺の住民の方々も必要性を理解して頂いているようで、現場の労働者に麦茶を差し入れして下さったりお菓子をだして下さった所もありました。
「大変ですね?お疲れ様です。」って労いの言葉も頂いた事もありました。近隣住民の皆さんのご厚意を感じながら「本当に求めらる仕事」には尊卑は無いんだな。って実感した訳です。

この経験は、オーストラリアに渡航する前にとても勉強になりました。
これから真っ更で何も無い一個人で見知らぬ土地で生活する上での度胸がついたとも言えますし、「本質を見る目」を開かせてくれた事は、その後「留学カウンセラー」として仕事をする上でも影響があったと言っても過言ではないと思います。
今年で震災から13年目。復興を遂げた神戸や長田辺りの風景がTVで映し出されると、あの当時の出来事が思い出されます。
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